カタチのないものがカタチにしたいもの。
年をあける1時間半前に麦焼酎を呑みながらこの文章を書き進めている。
久しぶりブログを書いて少しだけワクワクしている。
理由は簡単。書きたい時に書けているからだ。
ちょうどTVでは紅白歌合戦が流れていた。
エレファントカシマシの「今宵の月のように」が流れていて今年1年が走馬灯のように蘇ってくる。
今年1年もまだ終わってはいないが、早いものだった。
一生が「あっ」と言う間なら1年なんて「ぁ」と言う間にも過ぎないのではないんじゃないかな。
そんなことを考えながら、旅人の皆なら知っているアルケミストを呼んで旅している気分を楽しんでいたり、地元に帰っておばあちゃんお家でゆっくりしたりと例年とはまた違った年末の過ごし方をしている。
そんなことは置いておいて。
1年の思い出話にふける人が多い中、僕は一切そんなことは書く気はない。
理由は単純明快で、やかましいくらいSNSで発信しているからだ。
僕が1年どうだったかなんてだれも大して興味が無いものだ。
仮に、国を治めている阿部総理大臣が年末に書いたとしよう。今年はこんな感じだったぜてへぺろ☆的な感じの記事仮に書いたとしても果たして国民全員が読むであろうか。
そんなことを考えたら自分なんかってことになる。
そんな僕の記事を読んでいるそこの物好きの皆さん。
今年1年どんな年だったって言われたら、
「楽しかった」
の一言に尽きる。
タイトルにもあるが、今年はカタチがないものがカタチになった年だったということだ。
ここであれがこうだと言ったらさっき言ってたことと矛盾することになるので言わないでおく。
とにかく僕の思いや夢がひたすらカタチに変わった年だったのだ。
自分がこんなことが将来やりたい!こんなこと学生のうちに実現したい!と思い続けて口に出し続けた結果なのかもしれない。
人生の線路は自分で選べるけど、果たしてその線路どおりにいくかなんてわからない。
でも自分がなりたい自分には色んな方法で近づけれるはずだ。
その中に一つに僕の好きな「言霊」という言葉がある。昔の人は言霊という言葉をよく使ったものだ。
「言葉には魂が宿るもの」
という意味で、口に出したことは自分に返ってくるよ、という意味だった気がする。
この1年ひたすら夢を語ってひたすら思いをコトバに出してきた。
カタチがない"コトバ"をひたすら叫んで"カタチ"にした年だった。
誰かに感動を与えるためには、感じたとおりに動くことが大切なんではないでしょうか。
こんなこと言っていますが、相変わらず彼女はいないし、大学で単位も取れていないし、過去最高体重を記録した年です。
それでも人生は楽しいです。
来年もこれからも、人生は夢ばかり。
そんなことを感じた1年でした。
以上。